二桁防衛の安定王者を破った無冠の挑戦者【2000年代】
今回は、2000年代に二桁防衛を続けていた安定王者を破った無冠の挑戦者を挙げていきたいと思います。
防衛記録に終止符を打った試合とその後ベルトがどうなったのかをまとめていきたいと思います。
※二桁防衛の王者を破った選手の中で当時すでに世界王座保持の経験がある選手は除いています。
長谷川穂積
王座獲得試合:2005年4月16日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ ウィラポン・ナコンルアンプロモーション戦 12R判定3-0
東洋王座を獲得し、世界初挑戦となった試合でした。
対戦相手は、この試合が15度目の防衛戦となるウィラポン。
辰吉丈一郎を2度、西岡利晃を引き分けを含む4度退けた過去もあり、日本人にとって難攻不落の雰囲気を漂わせていました。
しかし、長谷川がこの流れを打破し、見事世界初挑戦で王座を獲得しました。
その後の王座
長谷川はこの王座をウィラポンとの再戦を含む10度の防衛に成功。
自身も約5年に渡る長期政権を築きました。
内藤大助
王座獲得試合:2007年7月18日 WBC世界フライ級タイトルマッチ ポンサクレック・ウォンジョンカム戦 12R判定3-0
32歳での世界王座3度目の挑戦となる試合でした。
相手は過去2度の挑戦を跳ねのけられているポンサクレック。
この試合までポンサクレックは内藤戦2戦を含むフライ級最多となる17の防衛記録を誇っていました。
三十路を過ぎて同じ相手に3度目の世界挑戦と背水の陣で臨んだ中、12R判定勝利で見事リベンジを果たし悲願の世界王者に輝きました。
その後の王座
同じ日本人の好敵手との試合やポンサクレックとの4度目の対戦を含め5度の防衛に成功。
亀田興毅との試合で王座陥落するまで記憶に残る活躍を見せました。
ロデル・マヨール
王座獲得試合:2009年11月21日 WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ エドガル・ソーサ戦 2RKO
マヨールは一時日本の三迫ジムにも所属していた選手で、この試合が5度目の世界挑戦となった試合でした。
対戦相手は、ここまでWBC王座を10度防衛中のエドガル・ソーサ。
試合は、第2R偶然のバッティングが起こった後試合が動き出しマヨールがダウンを奪います。
その後連打をまとめレフェリーすっトップとなり、番狂わせでの王座奪取劇となりました。
その後の王座
初防衛戦のロメロ戦ではテクニカルドローで初防衛に成功しましたが、ロメロと再戦となる2度目の防衛戦で12R判定負けを喫し王座陥落しています。
あとがき
調べた結果、2000年代二桁防衛王者を破った無冠の王者は上記の3人でした。
タイの安定王者を破った日本人2人と、日本にゆかりのあるフィリピン人が入るという結果となりました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。